競馬とは


現在の日本において、競輪・競艇・オートレースと並ぶ公営競技の1つとして行われている競馬について記述する。公営競技としての競馬のうち、日本中央競馬会が主催する競馬を中央競馬といい、地方自治体が主催する競馬を地方競馬という。なお地方競馬においては地方競馬全国協会 (NAR) が免許の管理などの統括的な役割を果たす。

日本の競馬の歴史
日本において西洋式の競馬が行われるようになったのは19世紀後半のことであり、横浜の外国人居留地で外国人によって行われたものがその起源とされる。まもなく日本人が西洋式競馬を模倣するようになり、馬券の発売を伴った競馬開催も行われるようになった。当時の国産馬は西洋の馬と比べて質が劣っており、品種改良と競争(競馬)を通して良質の軍馬を調達しようと国も積極的に競馬を奨励した。はじめ馬券の発売には法的根拠がなかったが、1923年に(旧)競馬法によって法的根拠が与えられた。日本競馬会の発足とともに政府が深く関与する競馬が全国的な統一組織のもとで開催されるようになり、そうした競馬は国営競馬を経て中央競馬へと受け継がれている。一方戦後、かつての地方競馬規則に基づく地方競馬や鍛錬馬競走を継承する形で地方公共団体を主催者とする地方競馬が行われるようになった。

公営ギャンブルとしての競馬
地方競馬・中央競馬はそれぞれ公営競技のひとつであり、刑法の特例として開催が認められている公営ギャンブルという側面をもつ。勝馬投票券(馬券)の発売を伴う競馬は特殊法人である日本中央競馬会 (JRA) 及び地方自治体にのみ開催が認められている。

中央競馬と地方競馬の交流
日本の競馬は中央競馬と地方競馬の二つの競馬のシステムが並立しているわけだが、同じ種類の競走を行い、かつ競走馬としても同じ種類のサラブレッドやアングロアラブを使っていることから二つの競馬の間の交流の歴史もある。この事柄ではそのような交流の歴史について説明する。

1972年以前は、中央競馬と地方競馬は同じ種類の競走を行いながら、主催者の違いにより、長年人馬の交流は限られたものであった。基本的には中央競馬所属馬(騎手)は中央競馬の競走のみ、地方競馬は自分が所属している主催者の地方競馬の競走のみに出走していた。他の競馬に出走するためには、現在の所属を離脱して他の競馬へ移籍しなければならなかった。たとえば、1954年の東京優駿優勝馬のゴールデンウエーブは、最初南関東に所属していたが、東京優駿への出走を目指して南関東から中央競馬に移籍をしている。ただし、この時期から既に南関東地区や東海地区など地域的な位置関係から、地方競馬の一部では地区同士の交流が行われていた。

そんな中で、1973年に東京競馬場で地方競馬招待競走が行われ、初めて中央競馬に地方競馬所属馬が出走した。翌年は大井競馬場で中央競馬招待競走が行われ、この2競走は隔年毎に交互に行われていった。

1981年に創設された日本の代表馬と世界の名馬が激突するジャパンカップ。その舞台にも地方競馬の代表馬も出走することができるようになった。その第一号は1983年のダーリンググラス。その後、1985年にはロッキータイガーが2着になった。

1986年に地方競馬招待競走と中央競馬招待競走は変更され、地方競馬招待競走はオールカマーに、中央競馬招待競走は帝王賞にその役割を移すこととなった。また、中央競馬も地方競馬もない生産者の立場の人間が中心となって団体を作り、1989年、ホッカイドウ競馬にブリーダーズゴールドカップを新設し、この競走には中央競馬所属も全国の地方競馬所属も隔てなく出走できるようにした。

その後、大きな転機となったのは1995年である。「開放元年」と称し、多くの改正が行われた

多くの中央地方指定交流競走が設けられた。
(指定競走…中央競馬なら地方競馬所属馬に、地方競馬なら中央競馬所属馬に出走を認める競走、交流競走…地方競馬が、他地区所属馬に出走を認める競走)
中央競馬のグレードワンレースのトライアルに地区の代表馬の出走枠を設けて、所定の着順までに入ることでグレードワンレースの出走できる道筋を造った。
その年に笠松のライデンリーダーが4歳牝馬特別を制し、牝馬三冠競走に全てに出走し、話題を作った。
また、初年度という事もあり地方競馬側の準備は整いきっていなかったが、それでもライデンリーダーの他、足利のハシノタイユウ(皐月賞)、笠松のベッスルキング(菊花賞)がトライアルで上位入着しGIに出走している。
東京大賞典などの地方競馬の大レースと呼ばれる競走に中央馬の出走枠を設けた。
1995年にライブリマウントが各地の地方競馬場で強さを見せつけた。またこの年のエンプレス杯でホクトベガが18馬身の圧勝劇を演じたのは川崎競馬場であった。このように多くの競走で中央競馬所属馬と地方競馬所属馬の対戦が行われるようになった。
地方競馬の2歳馬戦に認定競走制度を導入し、この認定競走に勝利した競走馬に対しては中央競馬の特別指定競走へ地方競馬に所属したまま出走できる資格を与え、また中央競馬への移籍に対しては、従来の馬房数とは別に、認定馬房による移籍を認めた。
地方競馬の条件級の中央指定競走も1994年より行われる。
1997年4月からは中央地方に関係のない統一グレード制を導入することとなり、ダートグレード競走が始まった。

1999年、地方競馬場の水沢競馬の生え抜きの地元最強馬であったメイセイオペラが、東京競馬場でのフェブラリーステークスで地方所属馬初の中央競馬GI勝利を果たした

2001年からダート競馬の祭典としてJBC(ジャパン・ブリーディング・ファームズカップ)が新設された。第1回は大井で開催された。

2004年、コスモバルクがホッカイドウ競馬所属のままでクラシック三冠・ジャパンカップ・有馬記念に出走。惜しくも勝ち星は挙げられなかったが、地方の星として脚光を浴びる存在となった。

競馬の放送
日本での競馬テレビ中継は1953年に、日本テレビが船橋競馬場の競走をテレビ中継したのが始まりである(これを記念して船橋競馬には日本テレビ盃というレースがある。なお、2006年時点では日本テレビでは競馬中継は行っていない)。中央競馬は、1953年にNHKが春の中山大障害を中継したのが最初である。 関東の民間放送では、1956年にラジオ東京テレビ(現在の東京放送)が東京開催の中継を行ったのが最初で、その後1959年に日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)が、さらに1960年よりフジテレビジョンが中継を開始し、一時は東京開催が日本教育テレビの、また中山開催がフジテレビジョンの中継となった。1962年より、関東開催はフジテレビジョンの単独中継となった(関西で関西テレビ放送が中継を行っていた為の措置と言われる)。 また関西の民間放送では、1957年に大阪テレビ放送(朝日放送の前身)により桜花賞が放送されたのが最初であるが、関西テレビ放送が開局と同時に競馬中継の放送を開始し、2006年現在でも引き続き行われている。また、東京十二チャンネル(現在のテレビ東京)や、近畿放送(現在のKBS京都)やサンテレビジョンでも、開局時より競馬中継を開始している。

ラジオ中継は、1932年に、当時の札幌競馬倶楽部で行われた競馬を中継したのが最初である。その後もNHKにより、単発的に中継放送が行われていた。民間放送では、日経ラジオ社(ラジオ日経、旧日本短波→ラジオ短波)で1956年より中央競馬実況中継を行っており、場内の公式実況でもあるほか、アール・エフ・ラジオ日本(旧ラジオ関東)も、1959年より、東日本地区の中央競馬実況中継を行っている。

近年はインターネットを用いた映像提供が、地方競馬を中心に盛んに行われている。2006年1月現在、荒尾競馬場以外のオンデマンド配信(録画配信)を行っており、ライブ配信は最後まで導入していなかった荒尾競馬場が「TV Bank」にてライブ配信を開始したことにより、全ての主催者で視聴できるようになった。D-Netによるダートグレード競走のライブ配信を除いては、いずれも無料で行われている。中央競馬においては、衛星放送とケーブルテレビ網を利用したグリーンチャンネルによる映像配信事業が中心であり、インターネットでのライブ配信は行っていない。オンデマンド配信についても、中央競馬ピーアールセンターによるJRA-RACING VIEWERが有料サービスとしてで行われているのみである。


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